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勝山記 35-36

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No.9319 勝山記 35-36

投稿日:2025年11月27日23時17分

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投稿者:冨士御室浅間神社 場所: 作成日:2015年12月16日16:36 勝山記
作品データ:Canon-Canon-PowerShot-G1-X / 15.1mm(35mm:) / F5.6 S1/60
寛治 堀河院善仁 白河院第二御子
         治廿四季七十二代

三、四、五、六、七 開元

嘉保 三月熊野本宮炎上
二 
永長
承徳 二テ開元

康和元、二、對島守義親合戦
三、四、五テ開元

長治 初二年テ開元

嘉承 初二年テ開元

天仁 鳥羽院ホリ河院一宮七十三代


天永
二 四月廿六日栗子山興福寺大衆合戦


永久元
二、三、四、五 伊与守義家討テ
      二月一日貞任乱打平
      八幡大郎

元永元、二テ開元

保安 五月三日三井寺焼亡、ミイ寺合戦

二、三、四テ開元

天治 崇徳院顕仁 鳥羽院一宮
      治十八年七十二代


大治 六百才

二、三、四、五テ開元

天承 依鳥羽院御願造立徳長院
画像管理者勝山記からコメント

寛治 堀河院の善仁親王(白河院の第二の御子)が在位し、治二十四季、すなわち七十二代にあたる。



三、四、五、六、七 開元

嘉保 三月に熊野本宮が焼失した。



永長

承徳 元、二年に「開元」とされた。

康和 元、二、対馬守・義親の合戦があった。

三、四、五年「開元」とされた。

長治 初年、二年「開元」

嘉承 初年、二年「開元」とされた。

天仁 鳥羽院・堀河院の皇子が一宮とされ、七十三代となった。



天永
二 四月二十六日、栗子山で興福寺の大衆と合戦があった。


永久元
二、三、四、五 伊与守・義家を討つ。二月一日、貞任の乱を平らげ、八幡太郎が活躍した。

元永 元、二 「開元」とされた。

保安 五月三日、三井寺が焼失し、三井寺合戦が起こった。
二、三、四 「開元」とされた。

天治 崇徳院・顕仁が鳥羽院の第一皇子として在位し、治十八季、七十二代にあたる。


大治 六百才と記される。
二、三、四、五 「開元」とされた。

天承 鳥羽院の御願によって徳長院が造立された。
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